-将来独立を目指して飲食業界に転身!

 その後、別の“ものづくり”ってことで、色々考えましたが、熟慮の末、「飲食の仕事をしよう!」と決めたんです。でも、「自分は飽きっぽいから料理人をずっとやるのは多分無理だな」って思ってたんです。料理って実は物凄くクリエイティブなものなんですけど、「いつも同じものを作り続けていくのは、ムラのある俺には厳しそうだと・・・。」で、「経営者がいいかもな」って思ったんです。でも、飲食店が駄目になるのって“現場を知らないのに口だけ出す経営者”と“自分の理想を追求する料理人“がモメて、喧嘩別れになって、料理人が辞めて、味が落ちて、お店潰れる・・・って昔から、そこかしこでよく耳にしていたんで、自分が飲食店を経営するのなら、とにかく“現場が分かる、物申せる経営者”にならないといけないなと思ったんです。

 それまで料理なんてほとんどした事なかったですし、飲食店のキッチンで働いたこともなかったので、勉強しないといけないなと思いまして、レストランのキッチンで働き始めたんです。そこでは、とにかく一生懸命学びました。その会社は給料も良かったので、「後々店長とかチーフになって、お金を貯めて、自分の考える業態で独立して3店舗ぐらい経営しながら、のんびりサーフィンでもやれる人生だったらいいな~」なんて思って。自分で言うのもあれですけど、本当に一生懸命やりました。めちゃめちゃ楽しかったですからね。面白い人たちが沢山働いていましたし。沢山ぶつかり合いながら、良いものは良い!悪いものは悪い!ってバチバチに議論をして。その時に出会った仲間は、まさに戦友ですね。 今でも良い仲間です。今でも会うと、毎回昔話に花が咲きます。

-父親に頼まれラーメン業界へ!そして「ZUND-BAR」オープン!

 ちょうど僕がそんな感じの頃に、さっき冒頭で言った弟の中村栄利が22歳の頃だったでしょうか、ラーメン屋を始めることになったんです。  

 元々うちは、祖父の代から商売をやってきていたんですけど、父の代ではセブンイレブンだったり、不動産業をやったりして、飲食業とは全く無縁だったんです。それが、ある日、弟が「僕、ラーメン屋をやりたい!」って言い出して、家の裏の倉庫にキッチン作ってスープを研究し始めたんですよ。4ヶ月間、研究に研究を重ねた結果、とっても美味しいラーメンが出来るようになったので、1999年に父が資金を出して、弟がラーメン店をやり始めたんですよ。

 オープン当初は、好調な滑り出しだったんですが、お客様が一巡してからは、来る日も来る日も閑古鳥が鳴くような日々が続きまして、でも、根っからのラーメン職人である弟は、上質な食材をふんだんに使って毎日スープを仕込む訳ですね。だけど、お客様がいらっしゃらないからほとんどスープは売れ残る。鮮度が落ちて味も落ちるから、翌日は使いたくないので、少しだけ仕込みに使って残りのスープはすべて捨てる。というような事を赤字を垂れ流しながら続けていたのですが、暫くして、父が「あと4ヶ月赤字が続くようなら、もうこれ以上資金は出せない」って。そりゃそうですよね。このままだと家が潰れてしまいますから。それから4ヶ月のリミットが目前に迫ったちょうどその頃、折からのラーメンブームにも乗って、中村屋が大ブレイクしたんですよね。その時まで相当な赤字を垂れ流していたので、父も「ちゃんと投資を回収しないとラーメン屋は長く続けられないから!あと、商売、良い時は長く続かないから!」ってことで、中村屋の2号店という位置付けで2001年の夏に「ZUND-BAR」をオープンすることになったんです。ちなみに、店名に“BAR”って入ってますけど、バーではなくてラーメン屋です。(笑)

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