-足元から崩れ落ちる屈辱がラーメン開業の機動力に

 当時僕は30手前で独立願望が強まっていた時期で、取り残されている気分で何かしたいな・・って思っていたので、たまたま小学校の時にめっちゃアホの同級生がいたんですけど、よう喧嘩してたんです。28歳の時に再開して、そいつが20人ぐらいの従業員の建設会社をやっていて、「お前も頑張れよ」って肩ポンされて、足元から崩れ落ちましたよ。笑 

 それが、もう屈辱で・・・屈辱で・・・何かしたいな!って本気で思ってラーメンにたどり着きました。それで仲良くしてもらっていた「きんせい」の中村オーナーに弟子にしてくれってお願いしに行ったんですよ。

-自分の感動したラーメン屋の大将から声がかかった

 最初は「きんせい」の大将に「いらん」って言われたんですよ。奥様とお2人でされていたので、空気も悪くなったりするのも嫌や、って言われてたんです。けど、食べに行くたびにお願いしていたら、ある日1年ぐらい経った頃電話かかってきて「まだやりたいと思ってるの?」って言われて、給料あげられへんけど、皿洗いだけならやっていいよ!って言って貰えてそれならすぐ!っていう風に伝えたんですけど、現実的に僕結婚してたし土・日・祝だけを皿洗いをさせてもらいました。

 その当時は休みはほぼゼロでしたけど、ラーメンを覚えられる!という喜びだけで働いているという感覚は全く無かったですね。