-自分はまだまだ甘かった

 最初は弁当屋を始めました。大手のフランチャイズで結構軌道に乗り、2年くらい続けていましたが、1店舗だけで終わるのではなくもっと大きなことをしたいという夢もあったので、その弁当屋を売却し、当時ラーメン屋に詳しい社員さんの協力も得て、京都の伏見で「西行庵」というラーメン屋を始めました。これが、僕がラーメン業界に携わった経緯です。

 でも、このラーメン屋はなかなか利益が出ず厳しい状況が続きました。「五目麺」というラーメンを提供しており、店頭でチラシを撒いたり、どうにか上手くいくように試行錯誤していましたが状況は良くはなりませんでした。今思えば、そもそもあの場所でやろうとしたことが間違いだったんだと思います。それに、あの当時は自分もまだまだ甘かったと思います。でも、そのおかげで今があると言っても過言じゃないですね。

-自分の心を揺さぶるつけ麺に出会った

 そのラーメン屋は2年くらい続けましたが、厳しい状況を打破することはできずにいました。そんな状況下で、僕の中に「絶対繁盛店を作ったる!多くのお客様に来てもらえる店を作ったる!」という思いが沸々と湧いてきました。

 そして、いろんな繁盛店を食べ歩くようになり、東京の超有名なつけ麺屋さんに行ってつけ麺を食べたんです。そこは2時間、3時間待つような有名つけ麺屋さんなんですが、食べたらあまりに美味くて感動して衝撃が走りました。

 そもそもその当時、京都につけ麺屋はほとんどなく、まだ一般的ではなかったこともあり、僕の根底にある、お客様を喜ばせたいとか驚かせたいというのにつけ麺はマッチしてたんです。