-「一風堂」を大阪に持ってくる夢を叶えた

  楽しいだけの修行の毎日でしたよ。ラーメンを作る技術以外にも積極的に取り組んでいました。それから徐々に僕の中に芽生えてきた想いとしては、僕4年間大阪の大学にいたんですけど、すげぇ楽しかったんですよね。

 だから、“大阪の街に何か恩返ししたいなぁ”っていうことです。そして、この美味しい「一風堂」のラーメンを大阪に持っていきたいと思っていたんです。それで、河原社長と会う度に「大阪に一風堂を持って行って大阪に恩返ししたいんです」って2年間言い続けて、1999年1月に大阪店をOPENすることになりました。ほんとに熱意ですよね。笑 

 そして、1998年から大阪に戻りました。

-毎日1,000人を超える繁盛ラーメン屋ができた

 1999年は自分的には鳴かず飛ばずだったのですが、2000年からラーメンブームが来たり、テレビチャンピオンに河原社長が出たりとかして、昨対200%で急激に成長していきました。

 それでも1999年時点からお客様に月間12,000人~13,000人ぐらいは来て頂けるようになっていたので、普通の個店に比べたら売れていた方だったとは思うのですが、その翌年に更に爆発したという流れですね。

 その2年半後には京都にもう1店舗出店して、その次に梅田店を出店しました。当時は実は組織もそこまでしっかりしていなかったので、店長がすべて店作りをするような感じだったんです。物件の選定からさせて頂いて、立地も色々考えて梅田なんかはべらぼうな家賃でしたが“いけー!”って出しちゃって。笑 

 でも、当時この業界は3日で家賃は回収しなきゃいけないっていうのもあって、「店作りの時に35席は必ず確保したいんです」ってお願いしてもフタ開けてみると“33席しかない!泣”とか色々ありました。笑

 嬉しいことに梅田も大ブレイクして1日多い時で1,200人ぐらいのお客様に来て頂いてましたよ。大体1日最高36回転してました。笑

 当時、僕の目標はすごく高くて、“関西4店舗で10億!”という目標を掲げて凄い勢いでしたよ。

-ついに関西4店舗で年商10億達成!

  この10億の売り上げにこだわっていたのは、以前のアパレルの時に僕がアウターで10億ぐらいの事業規模を見ていたんですよ。それでその時の感覚に早く追いつきたいっていう想いから、「5店舗~6店舗で10億はつまらない、4店舗でやるんだ!」って思っていて、それがチームの勢いでしたね。

 そして4店舗で10億を達成した時が、僕が「一風堂」に入って、9年半目ぐらいです。関西だけだと5年で達成ということになりますね。とはいえ、僕一人では何もできないので、本当についてきてくれたスタッフとお客様のおかげですよね。本当にみんなでよく頑張ったと思います。