-“親父のラーメン”を作ると決めた。修行は一切しない!

 なぜラーメンにしたかったのかという話なんですけど、僕実は一時期親と離れて暮らしていた時がありました。小さい時です。その当時、自分が帰る家の近くの峠の所にボンネットバスを改装した屋台のラーメン屋さんがあったんですよ。そこに親父が連れて行ってくれたんです。そのラーメンの味が忘れられなくて、そこからラーメンが大好きになったんですよね。そんな親との思い出になるような、そういうラーメンを作りたいと思いました。思えば親父と外食したのは後にも先にもこの1回きりだったのですが、忘れることの出来ない、親の優しさを感じました。

 そこから全くの素人の僕がラーメン作り始めました。笑 僕の師匠は旭屋出版のラーメン本です。あれが僕の師匠です。笑 自分が作りたいラーメンというのは明確にあったので、それを実現するために勉強しました。自分が食べたいラーメンを作りたい、それが売れたら幸せになれるかな、そういう気持ちでしたね。修行僕一切していないです。根拠の無い自信があって・・笑 鍋買ってきて家で黙々と作りましたね。大体3ヶ月くらいかかりましたね!

 お金はココイチでお店を買い取ってもらった時のお金で自己資金にやりました。初めて作った時はとても食べれたもんじゃない!っていうくらい、ひどいものでしたね。笑 おかげさまで、今では旭屋出版さんに1日取材を受けるぐらいになりました。 

-念願の“親父とのラーメン”遂にOPEN、しかしまた睡眠3時間。

 OPENまで2ヶ月くらいかかったんですけど、近所の方が“何が出来るのかな~”と思ってくれていたので、OPENから半月ぐらいはまぁまぁ良かったんですよ。そこから1ヶ月過ぎて2ヶ月目ぐらいに売上が落ちていて。自分が立てていた予想よりもかなり落ち込んで、赤字が続きました。最初はお昼の営業と夜は12時半までだったのが、深夜営業を始めました。朝4時までですね。それで2年ぐらい朝4時までやっていました。夜は従業員にまかせて、深夜は僕1人でやってました。また睡眠3時間生活が続きました。笑 またこれか!みたいな。笑 

 けど、ずっと辛抱して続けていくとお客さんもある程度ついてきてくれて、色んな人に助けて頂いて、深夜営業を2年でやめることができました。

 3年目ぐらいから“いけるかな”という感触をつかめましたね。その時にお客さんの数が100杯~120杯ぐらいはコンスタントには出るようになりましたね。従業員の給料も出て、支払いもしっかり出来るようになって、自分の給料も取れるようになったのが3年目です。

-僕のラーメンのこだわり。

 ラーメンっていうのは食文化の中ではB級グルメの中でもあまり食べて良いイメージ無いですよね。食べ過ぎたらいかんとか、そういうのが多い。化学調味料多いよね、とか。なので、そういう化学調味料は使わないようにしようとか、出来るだけ農薬の少ない素材を使おうとか、自家製麺にするとか、食に対するこだわりは最初からずっとありましたね。大きい意味で言うとラーメンを“食事としてできる”ようなものにしていきたいな、と思っていたんですね。

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