-1つの取材からの復活快進撃

 そうやって、もうダメかもな・・と諦めかけた時、OPENから1年程経った2001年にメディアに拾ってもらって、そこから取材が殺到したんです。それからあまから手帖にひろってもらってから、関西ウォーカー、関西週間、テレビもきて毎月のように取材が来るようになって、軌道に乗ってきたんですよ。

 最初のきっかけは、常連さんで福島にあやむ屋さんっていう焼き鳥屋さんがあって、焼き鳥業界ではすごい有名な人なんですけど、その人があまから手帖の関係者の方に輝っていうラーメン店がいいよ、と紹介して下さったらしいんですよ。

 あれが無かったら今頃麺や輝は無かったかもしれないですね。

 -3年を経て麺や輝のラーメンの完成

 それでまぁ、潰れずには済んだ・・・と安心するわけではなく、ずっと味を研究していて、実際自分の中で納得したのは3年ぐらい経ってからですね。

 お客さんが美味しい美味しいいうてくれては居たんですけど、自分とお客さんの間に美味しいのギャップがあったんですよね。いや、もっと美味しくなるやろ、みたいな。

 それから3年経った時にそれがマッチしたような感じがあって、やっとピンと来たって感じですね。それが今でもうちの変わらない秘伝のタレですね。これは3年うちで修行した子にだけ教えてあげています。

-拓郎さんの入店をきっかけに店舗展開へ踏み出す。

 そして3年で味に納得して、6年後とかそのぐらいのときに拓郎という、今麺や拓やってる子が入ってきて、展開のことを考え出しましたね。

 ほんまによう頑張ってくれたんですよ。1号店の売上や来客数って大体120人~130人って決まっていたので、拓郎がすごく頑張ってくれていても、店舗の運営上拓郎にあげられる給料が22万~23万が一杯一杯ですよね。それがせっかく頑張ってくれてるのにあかんな、って思って、展開を考えれば30万とか、40万とかあげられるよな、ってことで2号店を出した。最初から展開を考えていたわけじゃなかったんですね。

 -それぞれの店長の味を表現してくれたらいいと思ってる。

 タレ、これだけは輝全体で同じタレを使っているんですけど、それ以外のスープや素材に関しては、それぞれの店長に任せています。味が極端にブレていては良くないので、アドバイスはしますけどね。経営者の立場で原価のこととかいう時はありますけど、あまり口うるさく言ったりはしてないですね。味作りに付き合うというよりは、自分たちのオリジナリティーや工夫で独立の練習をしてもらうようなイメージで頑張ってもらっていますね。

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