ほんと、先駆けやった。とんこつ醤油ってそん時あったからね。とんこつってなんか、白いけどもうちょっと濁ってたら「とんこつ醤油」っていうふうなコンセプトではあったんよ。24年前でとんこつ醤油。それって今から8年か7年ぐらい前にとんこつ醤油とか出たじゃない?意外とそういう言葉を発するのは早い方やったんでね。

 で、まぁ~ラーメンがクソまずいっていうのはレッテル貼られるから、おでんとか焼き物とか炒め肉とか、いろんなもの置いて一品と酒とビールとで、凌いでいくみたいな形やった。その頃はまだ、時代も良かったから。それにお客さんもお酒飲むし、飲酒も厳しなかったから、生活はできるようになったんやけどね。でも、とにかく油まみれの汚い仕事やめたい、そんな仕事は自分に向いてないって、頭悪いのにちょっと東京にも行ったからねえ。調子に乗って。で、3年で閉めて、まぁ「戻ることはないやろう」ということで、23歳からやったんで26歳の終わり頃に閉店した。

-2回目のラーメン屋は真剣にやったろうと取り組んだ。しかし結果は散々

 でも、またこれ大変やったのが店の解体を自分でせなあかんかったこと。解体を頼むお金もないからみんなで母親とかと一緒に解体してね。そんな時期やったね。神戸の震災があった年で閉めたんちゃうかな~多分。地震があった頃のイメージがあるねん。で、ラーメン屋に戻ることはないと思ってて、そっから1回商売やったのをやめたくないから、いろんな物販業とか、いろんなことに手を出して、ある物件借りて、ある怪しい仕事をしてんけど、だんだん家賃払えなくなってきて、どうしようかなと思った時に、「ラーメン屋ったら2、3万くらいにはなるやろと」。で、昔は不味かったけど今度は真剣にやろちゅうて、真剣にやってたらまたお客さんからは「不味い」と言われる、という負のスパイラル。

 「おいおい!またかよ!」と。真剣に考えてやろうと思ったけどね。ただこの、何でも人に聞いて料理人にも聞いていくと、いろいろな要素とミックスされてくるから、結局なんかこう、料理としてのレシピは合うててもラーメンとしてはアウトやったね。

 おれ料理はまったくできひんかったし。でも食べることは好きやった!昔から、わんぱくって子供やったね。だから食べることは好きやったけど、でもまぁちっちゃな頃からね、母親も言うてたけどお茶漬けとか味噌汁とかはご飯よりも好きっていうて、飲んでるから、こういうスープの仕事はやっぱり自分に合ってるんやろね。

 でも、麺は嫌いやった。もう18、19歳まで食べられへんかったよ。東京行って富士そばの濃いそば食べて、これなら食べれると思って。麺ってなんでこんな味になるんやろ?なんで不味いんやろ?とか思ってたからね。カレーうどんがギリギリセーフやろって思ってたぐらいやったらね。ほんま、麺大っ嫌いやった。

 でも、スープは好きやから、未だに自家製麺には手出してなくて、好きなスープの方にこだわり続けるんだけどね。まぁスープと麺、これは別もんやからね。あんま入り込みすぎると、もうマニアックになってしまう。

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