-思えば高校の三者面談の時には担任からのアプローチがあった

 高校生だった時も、親との3者面談で「お母さん、鈴木君ラーメン屋とかどうですか?」と言われていたんですが、その当時はやる気もなかったんですよね。(笑) だから、はじめ自宅に呼ばれたときは「ラーメンは勘弁してください。」って感じでした。しかも、飲食店で働いた経験もなかったですからね。 でも、先生から高校時代に雑用をよく頼まれたり、先生とも仲良くさせてもらってたり、文化祭ではっちゃけたりしていた僕を見て、ラーメン屋がいいと見抜いていたのかもしれないですね。(笑)

-先生と一緒にオープンさせたラーメン店「しま坂」

 そこから、物件を一緒に見に行って大岡山の先生の地元の物件に決まりました。1ヶ月くらいで工事して、1週間後に「しま坂」というラーメン屋を2000年ぐらいにオープンしたんです。僕がちょうど26歳の時でしたね。 実際に試作していくと自宅で作るラーメンと店で作るのは全然違い相当苦労しました。 先生が作った魚介豚骨ラーメンを研究し、味を覚えるのに必死でした。 僕にはラーメン店で働いた経験もなく、その味を記憶してその味になるように寝る暇を惜しんで作り込みました。お店をオープンしてからは、僕が店長として現場で働き始めることになったんです。