-心に芽生えた“天神旗の種”+“海外の刺激”で取りあえず退職

 そんな、不完全燃焼な大阪ラーメンライフを送りながら、僕の中にまず“いつか商売をしたいな”という気持ちがあった。それから“昔から食べてきた博多ラーメンを作りたい”とう気持ちがあった。けど、やっぱり学生なんで卒業したら取り敢えず就職、という流れで、神戸の食品メーカーに就職しました。

 結構、百貨店とかに展開しているメーカーだったので、海外の食を知るチャンスがあって、海外の超高級レストランを食べ歩きさせてもらったんですよ。それで、凄く刺激を受けて、もともと独立志向は強かったので、大阪に帰ってきて「辞めさせて下さい」って、ノープランでとりあえず仕事を辞めました。笑 それからはちょっと正直怪しい仕事しました。笑

-流れ流れてたどり着いた“居酒屋”という飲食業デビュー もう27歳

 結構甘い考えでグダグダしてたんだけど、もう根本が甘いから、失敗して、失敗して、失敗して、深夜テレビ見てトラックの運ちゃんになろう!と思って履歴書もって運送会社に行きました。夜勤希望で行って、そしたら「うちは夜勤やってないねん」って返事で、それやったらいいわ・・・って帰り道にその履歴書もって居酒屋に飛び込んだですよ。

 それが実は初の飲食業界への就職ですね。