日の出らーめん 日吉店
ぶっちゃけ1回辞めたこともある・・・でも、やっぱりこの会社のみんなと
また一緒に働けて良かった!今では統括マネージャーにまでなれた!
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初めて高校生の時にコンビニのアルバイトをして稼いだお金を使ったのがラーメンだったんです。もちろんラーメンの食べ歩きをしたりもしていましたが、大学卒業の時の就活中に、たまたまスタミナ丼屋さんのスタミナ丼を食べてその美味さに衝撃を受けて、そこしか面接に行かなかったんです。
しかも、運よく受かってそこの会社で働き始めました。そこの会社で1年後に日の出町の店舗で副店長として働いていたんですが、その時のお昼ご飯で入ったのが「日の出らーめん 桜木町店」だったんです。「日の出らーめん」のラーメンを食べた時には、まさか自分がここで働くとは思ってもみませんでしたよ。笑
いろいろなきっかけがあり、スタミナ丼の会社は一身上の都合で辞めて千葉の実家に帰ったんです。それで半年間ニートをしながらラーメンの食べ歩きばっかりしていました。
その当時、付き合っている彼女が横浜に住んでるっていうこともあり、「同棲しよう」っていうことがきっかけで「横浜で働こう」と思った時に「日の出らーめん」というのが頭に浮かんだんです。
それで僕が25歳の時に「日の出らーめん」のホームページをインターネットで見てみると店舗展開をしている会社だったし、味も美味しかった記憶もあったので「ここだ!」と思って正社員で応募して合格したんです。
その時に面接してもらったのが花澤社長で、当時は結構厳しい環境ということもあり半年間アルバイトをして「日の出らーめん 本店」で研修を経て社員になりました。これが僕のラーメン業界に携わるきっかけですね。
働いていると「お店をもっと綺麗にしたい」とか「働く環境をもっと良くしていきたい」と思い始めて、だんだん自分の中で出世欲が湧いてきたんです。笑
ラーメン屋って親方がいて弟子として入るっていう僕のイメージがあったんですが、この「日の出らーめん」はアットホームで自分達が何でも言える環境だったのが、自分がやる気になった理由だと思います。
それに、スタミナ丼で働いていた経験もあるし、もっと上を目指して店舗展開もしていきたいと思っていました。
正社員になってからは店長になりたいという気持ちもあったし、もっと給料も欲しいと思っていたので頑張りました。
それで「日の出らーめん 大船店」の店長として配属してもらうことができました。僕が26歳の時ですね。
店長になってから「日の出らーめん 大船店」に行った時には、その店舗の問題がはっきりしていました。その問題っていうのが「日の出らーめん 大船店」のスタッフ達のモチベーションが落ちていたことです。それは、以前の店長の影響ということもあったんです・・・
その前の店長が辞める時に僕がこの店舗に抜擢されたんですよ。だから、僕の性格上とても楽しくて、現場の士気を上げるためにいろいろな取り組みをしました。
例えば、お米がすごい不味かったんです。本店では、お米の炊き方まできっちり従業員が共有できていたのに、「日の出らーめん 大船店」ではそこまでできていなかったんです。
だから、LINEを使ってグループで連絡事項も含め情報などを共有し、スタッフ全員が情報を把握できるようにしました。僕がラッキーだったことは当時の従業員がすごく前向きでどんどん現場が良くなって明るくなってきたことですね。
それと、モチベーションがアップした要因として売上目標を「全店一位を目指そう!」っていうことを掲げて全員が同じベクトルに向かって取り組んだことです。そして、「昨年同月対比アップを前提として頑張ろう!」って現場をまとめていったのもよかったポイントかもしれませんね。
当時の上司からは「日の出らーめん 大船店」は認知度が無いから、認知度をアップさせるために入口の見せ方と券売機の見せ方にこだわりました。何故かというと入口が狭くて暖簾が出せなかったんです。
だから、店前をPOPでド派手にしました。
店作りも祭りのようなコンセプトというのもあったんでちょうど良かったです。それで、「日の出らーめん 大船店」は売上がどんどん上がって、昨年同月対比は今になってもずっとアップし続けています。
「日の出らーめん 大船店」で半年くらい店長をやって「肉を食らえ 日吉店」の立ち上げをスケルトンから携さわらせてもらって、社長や上司に相談しながら内装業者さんとのやり取り、設備の設置、メニュー構成やPOPのデザインなどいろいろと一からやらせてもらったんです。
それに兄がデザインをやってるので、そのデザインをTシャツにしてもらったりとか!もう本当に社長の粋な計らいでした。これは本当に僕の財産になりましたよ!
その後、「肉を食らえ 日吉店」の店長兼統括マネージャーに抜擢してもらえました。でも、これが今までの人生で一番大変で、下と上との人間関係の板挟み、肉体的にも大変で体を壊してしまって、その時の彼女に相談したら「もう行かなくていいよ!」って言われて、そこから3週間逃げちゃいました。
その時、当時の部長からも連絡があったけど電話も出ずにいました。すると部長が家に乗り込んできて話をしたこともありました。今思えば不法侵入ですけどね。笑
社長はその時、涙を流して「こんなに辛い目に合わせて・・・」って。
それが、申し訳なくて、申し訳なくて・・・「もう、ここの会社には居れないな・・・」って思って辞めて営業職のサラリーマンをしていました。
半年くらい経った時にあの不法侵入をした部長から電話がかかってきて「戻ってきてくれないか?」と言われたんですが、ずっと断っていたんです。
やっぱり前回の辞め方もあるし、罪悪感もあり戻れなかったんです。でも、サラリーマンに嫌気が差してきたというのもあったし、戻って新規出店の立ち上げをもう一回できるというのがすごい心動かされたし、社長やお世話になった部長やみんなと一緒に仕事したいなっていう想いもあり会社に戻って来ました。
そして戻って半年後にこの「日の出らーめん 日吉店」の立ち上げに携わり、今はこの日吉店の店長兼統括マネージャーをしています。
ここのコンセプトは慶応大学が近隣にある学生街なのでガッツリ食べて頂けるようなメニュー構成もしていますが、ガッツリ系のラーメンだけじゃなく煮干系の中華そばも提供して、ご年輩の方にも食べて頂けるようにしています。
常時6種類以上のメニューがあり、限定ラーメンなども展開しているので、いろいろなお客様に来てもらえていますね。
今は多い日で1日230人くらいで、平均したら200人くらいのお客様に来ていただいています。でも、学生さんが多いエリアなので、春休みや夏休みなどには売上が非常に変動しやすいんです。だからこそ、学生さんだけでなく老若男女問わず来ていただけるような店作りをしているんです。
やっぱり売上は大前提ですが、数値管理の落とし込みを各店長にはしっかりしてもらって、目標を立ててもらうように励んでいます。例えば、目標設定として店長になりたいというスタッフには、全て教えるのではなく気づいてもらえるようにいろいろ教え方を変えたりしていますが、なかなか難しいですよね。
それに、全店の店長たちが、僕より年上なんで言い方なども気を遣ってますよ。
今後の野望は、僕は今28歳なんですが今後、自分のラーメン屋を経営してサッカーが好きだから最終的にはスポーツバーをしたいんですね。これが夢です!
【三輪統括マネージャー 談】
グループ会社サンライズキッチンで独立支援もしています>>>詳しくはこちらをクリック