かしや
2年半の地獄の日々・・・悲壮感で一杯の日々から抜け出せた!
お客さんと仲間が助けてくれた!そんな店主のやさしいラーメン!
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もともと、内装業を従業員も雇って経営してたんですけど、不景気の煽りもあって結局最後に解散したんです。ほんで、昔に中華料理屋で住み込みで働いていたこともあったんで、中華料理屋をやろうかと思ったときに、松原にある綿麺の友達に「ラーメン屋やったらええねん!」と言われて、ラーメン屋ってどんなかなぁ~と思ってね。それが、ラーメンに携わるきっかけやったんです。
でも、幼稚園の卒業アルバムの自分の夢ってところに、「ラーメン屋をやる」って書いてたからラーメンには昔から興味があったと思いますよ。料理を作るのも食べるのも好きやったからね。
それで、綿麺で「お金も要らんから働かして」って言うて働き始めて、製麺を覚えたりさせてもらったんです。それで、1ヶ月くらい働きながら、自分のラーメン屋の物件選びをしたりしてました。でも、それも飲食店をやる上でやったらあかんことやってもうて・・・普通は立地ってめっちゃ重要で、どんくらい人が通るかとか年齢層はどんなもんかとか調べて、最後が自分の通いやすい立地なんですけど、僕はまず通いやすいところに物件を決めたんです。それが、最悪やって・・・
味は自分のこれでいこうというレシピがあったし、オープンまで3ヶ月あったから、自分の店でいろいろ試作して「これでいけるやろ!」と思ってたんやけど甘かったです。
来店客も2年半くらいは、全然振るわず最悪やったんです。だから、家にある自分の大事な物を売ったり、借り入れしたりとほんとうにもう地獄の日々が続いて・・・オープンして最初の数か月はイイっていうじゃないですか?でも、僕のラーメン屋は全くダメでしたね。ほんと。
でも、転機が訪れてね。それが、「麺や而今」の島田さんとの出会いやったんです。
1人のブロガーさんが、あまりにもひどいうちの姿を見てか「ラーメンの変態(笑)がおるから会ってみて」と言うてくれてね。それで、「麺や而今」の島田さんに会いに行ったんです。その時に熱い話や自分の想いを話したら、島田さんが「自分の想ってる味を作ったるから来てみたら?」と言うてくれたから、僕も次の日に店を閉めて食べに行ったんです。
そしたら、もうそのラーメンがドンピシャ自分の理想のラーメンやってね。その後、うちに島田さんが食べに来てくれて「あぁ~。このラーメンは難しいね~。これはキツイね~」って言わはってね。それで、アドバイスくれたんです。
そのアドバイを聞いて自分でその通りにやってみたら、自分の理想の味が出来上がって!
だから、毎日スープを炊いて店が終わってから而今までそのスープを持って行って、そのスープの味を島田さんにみてもらってたからね。
でも、1回コツというかがわかってから方程式が解けるように、どんどん自分の枠が広がってどんどん楽しくなってきて、店でも楽しい顔で働いてるから、お客さんも増えて、また嬉しくなってという良い循環になってきたんですね。
だって、昔は1日12人とかやったんです。ひどい時は昼4人、夜2人で1日6人とかありましたからね。でも今は平均80人以上になって、土日は100人を超えるようになったんですよ!
でも、僕はお金っていうかね、お客さんが「ごちそうさん!美味しかったわ!」と喜んでくれるのがめっちゃ嬉しくて。やっぱり、昔は顔も悲壮感いっぱいやったんで、雰囲気も最悪だったですからね。
だから、楽しく毎日働けるのが最高ですよ。ラーメン作るのも楽しくって、それがうちのラーメンの特徴にも出てるやさしい豚骨ですかね(笑)。じんわりと来るスープです。炊き方も時間調整をし
麺は僕が東京に行った時に食べたラーメンの麺が歯切れが良くてめっちゃ感動したんですけど、関西のテイストに合せたモッチリした麺に仕上げています。
麺は3種類使っていて、和風とんこつはモッチリした中太麺、濃厚とんこつはバツッとした中にモッチリ感がある細麺、つけ麺は魔法の粉を使っています。これは企業秘密です。笑
日々、美味しくなるように改良しています。
おかげさんで、最近ではお年寄りから若い子までいろいろなお客さんに来て頂いてます。でも、若い子の方が多いですね。カップルが多いです。女の子でも1人で来るし、男女比率でいうと50%、50%くらいですかね。
リピーターさんも多くなってきてます。地元の人だけでなく、週末に遠方からも来て頂けていますから、ほんまにありがたいですね。
2年間はほんまに地獄やったんで、なおさらです。