高校の時にアルバイトで入ったラーメン屋の大将の背中を、早くに亡くした父親の背中のように感じ、ラーメン屋を一生の仕事にすると決める。
 22歳で大将のラーメン屋を買い取り、 4ヶ月かけて全国のラーメン屋を食べ歩いた経験を活かし店舗展開を開始。
 現在では、長野だけでなく関東にも進出し現在の経営店舗は10店舗を超える。長野の食材を活かしたラーメンを世に送り出し、信州ブランドの確立に力を注いでいる。

有限会社 BOND OF HEARTS
代表取締役 塚田 兼司 氏
経営店舗:気むずかし家、笑楽亭、けん軒、烈士洵名、武士、ブタドラゴン、前田慶次郎、魚雷、悪代官、おとど

-ラーメン屋でのバイトがラーメン人生の始まり

僕は5歳の頃に白血病で父親を亡くし、長野の祖母の家で母子家庭でずっと育ったんです。だから、あまり家庭も裕福じゃなかったので、中学校を卒業してから高校になった15歳の4月からつけ麺屋さんの「つけ麺大王」でアルバイトをし始めたのがラーメン業界に入る一番のきっかけです。

 学生時代は自分の好きなことばっかりやってて、将来のことなんて何にも考えてなかったんですがバンドをやってたので「バンドマンとして生きていくか、このままラーメン屋さんとして生きていくか」って考えていました。でも、バンドだとメンバーみんなの意志が一つにならないといつか解散したり別れたりするから、友達と離れるのはキツイなって思ったんで「ラーメンを選択しよう」って決めたんです。

-亡くした親父の背中を感じさせてくれた大将の存在

というのも僕は親父を早くに亡くしているんで、その当時働いていたラーメン屋の親父の背中を死んだ親父の背中のように感じていて、ラーメン屋を選択したっていうのが大きいですね。

 例えば、親父がケーキ屋をやってたらケーキ屋をやってたと思うし、だから親父の背中に惚れてラーメン屋になったって感じです。