ニュージーランドでのラーメン屋修業を経て、愛媛のパートナーと愛媛にて1号店をオープンする。何店舗かの立ち上げに携わった後、地元関西の大阪で新たにラーメン屋を立ち上げる。3年間は毎年赤字となり死にかける思いをしながらも、他と競争しない独自の経営方針でⅤ字回復。
健康志向のラーメンを追及し、業界初とも言えるサラダバーなど斬新な発想が多くのお客さまから支持されている。
麺鮮醤油房 周月
代表取締役 田中 慎也 氏
-愛媛でラーメン屋を立ち上げ、その後大阪で地獄の日々
ラーメン業界に入るきっかけは、ニュージーランドでラーメンの修行をしていた時に出会った相方がいて、いろいろと酒を飲みながら語っていたら「日本でラーメン屋をやろうや!」ってなったんですよ。
その相方は愛媛県出身やったんで、愛媛県でラーメン屋を立ち上げるという経緯になったんです。
大阪に来たきっかけは、元々僕自身が関西の和歌山出身なんですよ。それで、何店舗かの立ち上げに携わった後、次のラーメン屋を展開する時には和歌山よりは都会である大阪で勝負したいっていう気持ちがあって大阪で勝負をしたんです。
出店した3年間は黒字が出ることもなくずぅ~と赤字やったんです。本間に死にかけましたよ。笑
家族、親戚、取引業者さんにも迷惑をかけることも多々ありました。今もまだ予断を許さない時期なんですけど、4年目になった時に経営方針を変えて良くなってきました。