実家が食堂を営んでおり、幼少期から飲食業に携わる。アメリカで会社を作りたいという夢もありカルフォルニアに行くも、実家の人手不足から実家を継ぐ。
その後、ラーメンを独学で学び、今では60年を超える厚木の老舗ラーメン屋に育てあげた。
現在では、家業から事業に、やがて企業として会社を成長させるために職人という考えから経営者としての道を歩み始め、店舗展開、人材教育などに注力している。
株式会社 SANTA CALA
代表取締役 望月 貴史 氏
経営店舗:麺や食堂、うづまき
-幼少期から実家の食堂で働いた
僕はもともと実家がラーメン屋というか食堂を営んでいたんです。戦後まもなく僕の御爺さんが始めて、その食堂はラーメン、カレー、かつ丼などを提供していて、その店で僕の父も働いていました。だから、僕は小学校の時から仕入れのために野菜を買いに行ったりすることは当たり前のような生活だったんです。自転車で後ろの荷台に食材を乗せて走っていましたからね。笑
たまに間違えて野菜を買いにいかないとダメなのに魚屋に行ったりして怒られていた記憶があります。中学生くらいになった頃には、その実家の食堂で皿洗いなどを手伝っていましたよ。
-商売は順調だったバブルの頃
1980年代はここ厚木市も建設ラッシュで、建築関係の方たちが周りでよく働いていたので、よくその人たちから「ラーメンを100個、かつ丼100個を出前で持ってきてくれ」とか言われていましたよ。笑
ラーメン100個って・・・絶対に麺が伸び伸びになっちゃうよなぁ~って思ったりね。だから、商売も何不自由なくやれていましたし、家族を養うためにやってたという感じで、僕も20歳の頃に実家を継いだ時には家族を養うために商売をしているということを疑いもしませんでした。
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