-ラーメンなんて最初は全然やる気なかった!
ラーメンに入るきっかけは、今から20…23歳ぐらいのときかな。東京住んでるときに、父が大阪にいて事業を営んでたんやけど、最後に飲食店したいっていうのが夢で、空地を借りてね。空地っていうか駐車場を借りるっていうことで、たまたま僕が、名古屋から3カ月ぐらい前に帰ってきたてそこ借りてて、途中までもう建物作ってたから、どんな食べ物屋がええっていうことになって、最終的にラーメン屋がええやろうと思ってラーメン店をした。
ラーメンがええって思ったのは、はっきり言って簡単そうやし、誰でもできそうやというのがあって。その当時は東池袋の大勝軒が3軒くらいしかないときかな。保谷とあと狭山ヶ丘。で、青梅街道に杉並区で春木家っていうのがあって。あと歌舞伎町とかにザボンとかあってね。ザボンっていう、とんこつラーメン屋の。そのあたりの名前しか知らんかったっていう時期で、23~24年前やね。それでラーメンちょっちょっと出して、ぱっぱとやってというので。まぁ面白いとも思ってたからね。
-3年ぐらいやってみよか。という気持ちでやって見事に3年で閉店
で、「やろう」ということで、地元の友達も集まってくれて、大工とかおるから店を一緒に作ってくれて。親父が死ぬまでにオープンしたって、お客さんでも入れたらちょっとは親孝行になるかなと思ってね。その頃はもう、やりたくないのにやったから、「はよやめたい!」「はよやめたい!」しかなかったしね。完全にラーメンを馬鹿にしてたからね。そのときはもう、今のうちの番頭と一緒に、その1年前にショットバーを、東京の中野新橋にオープンしてたから。それで向こうに永住しようと思ってたから、もう帰ってこうへんつもりでおったからね。でも、まぁやってもうたし、東京のバーも2人3人でできるような、大きな店ちゃうから、「とりあえずこのラーメン屋も3年ぐらい続けよう」という気持ちでやると、3年ぐらいで綺麗に閉まるからね。
だって、やる気ないから。もうホンマ適当なラーメン屋やったよ。だって、とんこつ入れて薄かったら水入れて、ラーメンの素入れて。にんにくパウダー入れて。アレンジしてアレンジして調味料15個ぐらい並べてそれ入れて、あれ入れてって毎日味を調整してたね。ラーメンの「難しい」も「旨い」もわかれへんかったからね。だって、ラーメンっていうもんがそもそもなかったしね。
の社員・アルバイト求人情報はこちら>>>キンキンラーメン修業道
の社員・アルバイト求人情報はこちら>>>キンキンラーメン修業道
の社員・アルバイト求人情報はこちら>>>キンキンラーメン修業道
の社員・アルバイト求人情報はこちら>>>キンキンラーメン修業道
の社員・アルバイト求人情報はこちら>>>キンキンラーメン修業道